曦瑶

「陳情令」金光瑶と藍曦臣についての彼是

藍曦臣の救いとは

曦臣には救われて欲しいと思い続けて来ました。

「記憶というてもな、映るはずもない遠すぎるものを映しもすれば
それを近いもののように見せもすれば幻の眼鏡のようなものやさかいに」
・・・・・・「それも心々ですさかい」三島由紀夫『豊穣の海』「天人五衰
解脱して人ならざるものへと変貌を遂げた聡子の言葉は凄まじいです。
阿瑤の悲劇の大元は、全ての屈辱の記憶を決して忘れられなかった「過目不忘」から
来ていると思うのですが、自我意識の妄執の囚人である阿瑤は、
生きている限りこの業から逃れられなかったでしょう。
阿瑤を喪った曦臣は、長い長い時を経て不死を得て、「無我」に至るのでしょうか。
どこまでも清廉で限りなく美しい姿でしょうが、
絶対零度を想像するかのような怖ろしさを感じました。

愛も執着も記憶さえ消し去って聡子のような境地に至ることが救いなら

それはとても怖いと感じました。

阿瑤の存在を消すくらいならいっそ曦臣には一生阿瑤に囚われていて欲しい。

苦しみ続けて欲しいのではありません。
いつか曦臣をまるごと理解し慈しんでくれる存在が現れて

二人が共に生きる事を選んだとしても、
曦臣の胸の奥底には阿瑤の面影があって欲しい。

阿瑤の生きた証をどこかに刻んでいて欲しいと思います。