曦瑶

「陳情令」金光瑶と藍曦臣についての彼是

芳菲殿密室で(阿瑶と秦愫)

阿瑶は秦愫を口封じの為に自害するように仕向けたのか。
私も「陳情令」の第一印象で阿瑶はあの温氏の匕首に何か仕込んでいたのじゃないか、
秦愫に術でも掛けたのじゃ?と疑った事があった。
秦愫との結婚自体も金氏の有力配下である蘭陵秦氏の息女という立場を
我が身の地盤を築く為に、、、。
でも射日の征戦で阿瑶が秦愫を救ったのは、企みなどでは無かったのでは。
天真爛漫で阿瑶の出自など全く気に留めない
おおらかであどけない娘に好意を寄せられ、金氏に入っても蔑まれ続けていた阿瑶は
心救われて、更に互いに異母兄妹と知らぬままに本能から近しいものとして
惹かれ合ったのだと思う。
恋仲に為っても二人の結婚には反対も多かった筈。
だからこそ阿瑶と秦愫は結婚を確実にする為に
婚前交渉という手段をとったと考えている。
秦愫が密告の手紙を受け取り、二人が異母兄妹だという事実が明らかに為った時、
阿松の死の真相を知らされて、あまりの事実に秦愫は、絶望する。
長年心から信頼し愛し続けてきた夫が実は、異母兄であり、「近親相姦」という
事実を隠すために我が子を殺したのだ。
阿瑶がどれだけ言葉を尽くそうとも、もはや秦愫には届かない。
頑として密告者の名を教えない秦愫を阿瑶は、身体の自由を奪って、
銅鏡の裏側の密室に軟禁する。
この状況を煎紙化身によって見ていた魏嬰は、直ぐさま忘機、曦臣と共に、
芳菲殿に駆けつけ、阿瑶に密室へと案内させた。
魏嬰、忘機、曦臣、江澄、金凌、懐桑、そして夫光瑤、
あの場に勢揃いした面々を目にして、秦愫は、何を思ったろう。
我が子を殺されて怒り、悲しみ、憎んだ夫であり兄でもある男、
それでも秦愫は、彼を愛していたのではなかろうか。
事実を自分の口から明らかにすることは出来なかった。
阿瑶を守りたかったのではなかろうか。
異母妹と知りながら子を産ませ、「近親相姦」の禁忌が顕わになりそうな時点で、
我が子の命を奪い、それでも身近に留めることを望んだ、
阿瑶の秦愫への執愛の凄まじさ。
最後まで阿瑶は、秦愫を生かそうとしていたのだと思う。
秦愫を喪った阿瑶の慟哭に嘘は無いのだと私は、信じたい。

 

 

「金如松」について


「陳情令」「魔道祖師」の世界で金光瑶が犯した最大の悪は、
父光善殺害と義兄である聶明玦謀殺であろう。
けれど私は、個人的に金光瑶の最も大きな罪は、我が子「阿松」殺しだと思っている。
正式な名を「金如松」。
金凌が生まれる前に魏嬰から「如蘭」と名付けられていたように。
次世代の「如」を貰って生まれた子だ。
阿瑶は、異母妹秦愫との間に生まれた阿松が成長するにつけ
近親相姦の顕著な証が顕わに為ることを恐れその存在を抹殺したのだ。
聶明玦と光善の殺害については、阿瑶がそこに追い込まれたそれぞれの状況を
理解出来るし、その心情も考慮することが出来る。
けれど何の罪も無い我が子を死に至らしめるなんて、決して許されることでは無い。
私は、阿瑶が直接手を下したのではなく、見張り櫓建設に反対する一族を根絶やしに
する為だった、その一族が企てた妨害行動に阿松殺害を巧妙に仕掛け、
あえて見て見ぬ振りをしたのでは、と思っている。
自己保身の為に我が子を殺す。
けれど阿瑶が真に卑劣で冷酷な人間ならば、異母妹秦愫が身籠ったと知った時点で、
堕胎させたのではなかろうか。
遠ざけたのではなかろうか。
完璧を期すならば、秦愫自身の命を奪ったのではなかろうか。
けれど阿瑶はたとえ二度とその身体に触れようとはせずとも、秦愫を傍らに置き、
細やかに慈しみ続けた。側室を迎える事も無く。
阿瑶は秦愫に告げる。

『阿松は、たとえ他人が殺めなくても死ななければならなかった。
・・・・・・死ぬしかなかったんだ』

阿瑶は、自分を守ると同時に秦愫を守りたかったのだ。
そして「娼妓の子」と出生を差別迫害され続けてきた我が身を思い、
阿松のこれからの生の苦難を思い、
(それだからこそ我が子の生きる自由を決して奪ってはいけなかった筈なのに)、
阿松をまるで己の所有物であるかのように「生」を否定するのだ。
父光善に認められ愛される事をあれ程までに切望し続けた自分が、
無条件で愛してくれたであろう我が子「阿松」を抹殺する。
真相を知った秦愫は、ついに自ら命を絶つ。
阿瑶の生涯で最も身近で愛を捧げてくれたであろう妻と子、
二人の命を阿瑶は奪ってしまうのだ。
生まれついて後、「居場所」「安全な基盤」を求め続けたであろう、
「家庭」という宝を自らの手で壊す。
私は、阿瑶が阿松の存在を消す決意をした時、
阿瑶は決定的に壊れたのだと思っている。
生涯夥しい数の人を殺めたであろう阿瑶だけれど、
我が子阿松を死に追いやりその死を権力に利用した時、
彼は完全に闇に堕ちたと思っている。

私は、阿瑶の「阿松殺し」を悲恋の題材にしたいとは思わない。
醜悪で痛ましい事件だと思っている。
けれどそうせざるを得ないと思い込んだ阿瑶が憐れで哀しい。

 

 

パワーストーン

Twitterに金光瑤の帽子の大きな画像を載せて下さった方がいらして、

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中央の宝石を良く見てみたら、やっぱりこれは赤瑪瑙ではなく
サンストーンのようですね。
ちなみに私の持っている赤瑪瑙とサンストーンの画像は、こちら。

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阿瑶の石は、金砂をまぶしたようにキラキラしています。

別名ヘリオライト(Heliolite)、ギリシア語でヘリオは太陽、つまり太陽の石を意味し、
太陽が自ら輝くように強いエネルギーを持つと考えられているようです。
『サンストーンは、自信の無い人やコンプレックスの強い人に対して、
冷えた心を太陽の光が温めてくれるように、自信を取り戻す為に働く。』
だそうです。
阿瑶が「金光瑤」の名を得た後に大切に被り続けたあの帽子に、
この貴石を飾った意味を思うとこみ上げる思いがあります。

この帽子の貴石にもっとパワーが宿っていたなら、
阿瑶に浴びせ掛けられ続けた嘲りの言葉達を撥ね除け、
劣等感を取り除き、自尊心を高め、自信を育て、
健全な意思の主張を助け、感情の起伏を抑え、安心感をもたらし、
心の余裕を育む事が出来ていれば、、、、、、なんてね、
宝石に多くを望みすぎですね。

パワーストーンはあくまでも、身につける本人の意思と行動あってのもの。


私は、このところ中国の有名な武侠小説である金庸先生の、
「秘曲 笑傲江湖」「侠客行」「射鵰英雄伝」を読み続けているのだけれど、
これらに登場する主人公達は皆それぞれ過酷な境遇の渦に呑み込まれていくが、
最終的に「生」を掴むのは、単に武力や頭脳の力だけではない。
素直であること、卑屈にならず、驕らず、自分の力を信じ、たゆまず努力する、
そういう芯の強さがものをいうのだと思う。

私は、阿瑶の「過目不忘」の能力は、非常に類い希なものだったとは思うが、
これは必要以上に阿瑶の生涯を苦しめ続けたのだろうと考えている。
阿瑶が幼い頃から受け続けた「妓女の子」という差別や侮辱や虐待の痛みを、
少しでも忘れる事が出来ていたら、結果は違っていたろうと思う。
阿瑶が美しすぎたのも仇だったとは思うが、
もしも阿瑶に転生があるとしたら、美しさは残しておいて、
「過目不忘」は、与えないで欲しい。
前世の記憶はどうかなあ。
藍曦臣に出逢った時に、雷に撃たれたみたいに記憶が蘇るというのが良いな。
出来るだけ早めに、18歳くらいで♪

 

 

「乱魄」日本語字幕を見て

中国語での「乱魄」を見たのはもう随分前の事ですが、
この「乱魄」の冒頭で金光瑤が聶懐桑に、
聶明玦の気の暴走を抑える手助けになるようにと笛を渡した時に教えたのは、
正しい「清心音」だったのか「乱魄抄」を混ぜたものだったのかという疑問は、
解消出来ませんでした。
最後の場面に出てきた「清心音」の楽譜、

あれは金光瑤が渡したものだったのでしょうか?
私は、金光瑤が聶明玦殺害を企んだとしても、聶懐桑にまで「乱魄抄」を演奏させて、
陰謀に加担させる積もりはなかったと思うのです。
映像の金光瑤が聶懐桑へ笛を手渡す笑みが見ようによっては、
腹に一物ありそうな怪しすぎる笑顔に映ってみえるので、つい誤解されるのではという
気がしますが、この時は、兄明玦の刀霊による気の悪化を怖れる聶懐桑を宥める為に、
阿瑶は「清心音」を教えたのだろうと私は、思っています。
けれどこの「乱魄」の中で、懐桑は、「乱魄抄」の混じった「清心音」を吹いた。
何故か。
私は、不浄世で阿瑶が聶懐桑のいる前でおおっぴらに「乱魄抄」入りの「清心音」を
奏でたとは、思えません。
そんな危険を冒す筈はないと思えます。
聶懐桑は、密かに阿瑶が奏でる「乱魄抄」入りの「清心音」を聴き、
音楽にも秀でた才能を持つ聶懐桑が耳コピしていたのではなかろうかと思います。

「清心音」の楽譜、これは藍家の秘伝の書の筈ですが、
藍曦臣が阿瑶に「清心音」を教え聶明玦の気を鎮める為に演奏させると決めた時に、
この楽譜を手渡し、それが聶懐桑へと授けられたのだろうかと考えます。

<訂正>

「清心音」は、藍曦臣から阿瑶へは、口伝。

藍曦臣が聶懐桑へ「清心音」楽譜を渡したのかもですね。


「陳情令」スピンオフ「乱魄」では、この阿瑶から懐桑への笛の状況は、
とても紛らわしい表現だと思えます。

原作では、阿瑶が藍曦臣から「清心音」を習い、不浄世の聶明玦の許に、
「清心音」を奏でに通って最初のうちは気の暴走を抑えられていたと
いう記述があります。
ドラマと原作では、設定が違っているというのは理解していますが、
この「乱魄」は、この時期なのではと思っています。

「乱魄」で聶明玦は、聶の当主として刀霊に侵される我が身の迫り来る死を
覚悟していたろうし、何としても弟懐桑だけは守りたいと

その思いを強くしていた筈です。
刀霊の影響による気の乱れ、寿命が尽きようとする焦り、
そして薛洋を匿っていたと知って湧き上がった阿瑶への怒り、
それまでずっと口答えなどしなかった阿瑶の初めてといってもよい程の、
激しい反論に思わず逆上して大階段を蹴り落とし
「妓女の子」という大トラウマを抉ってしまった。
ここに至って初めて阿瑶は、聶明玦の殺害を決断するのだと思っています。
阿瑶が藍曦臣の信頼を裏切り、「禁室」へ忍び込み「乱魄抄」を盗み出したのは、
いつだったのでしょう。

観音殿で阿瑶は「(藍曦臣を)傷つけようと思ったことは一度も無かった」
と言ったけれど、この「聶明玦殺害に藍曦臣を巻き込んで乱魄抄を使った」事が
どれ程酷く藍曦臣を傷つける事になったか、全く思いもしていなかった
その阿瑶の心の欠落が痛ましいです。

「乱魄」を見終わって、聶懐桑という人の知力の深さ、意思の強さ、
十数年掛けて綿密に計画を立て、復讐を果たした想いの深さが理解出来ます。

当初計画されていたという「三尊のスピンオフ」、
是非とも実現して頂きたいです。

 

 

アレキサンドライト


アレキサンドライトは、日中太陽光のもとで青みがかった緑色、
夜の人工光(蝋燭や白熱灯など)では、赤色に変る宝石です。
私がこの「アレキサンドライト」という存在を知ったのは、
随分昔、山藍紫姫子の「アレキサンドライト」からなので、
アレキサンドライト=両性具有(アンドロギュニュス)の
象徴的なイメージを持っています。
更にそれ以前に、半村良の「妖星伝」で天道尼が女之助と交合し、
彼の身体を取り込んで、両性具有となるその下りを読んで、
これこそが性における究極の完全体ではなかろうか、
これこそが理想像なのではなかろうかと考えるようになったのです。
私が「陳情令」の阿瑤に感じたのは、野心に向け雄々しく突き進む男性らしさ、
そして穏やかに優しく周囲に接する柔らかな嫋やかさ、
両性具有を思わせる二面性でした。

芳菲殿「密室」騒動の後、莫玄羽の身体に魏嬰の魂が宿っていることが明らかになり、
あの大階段で、魏嬰に惹かれつつある金凌を焚き付けて剣で刺すように
仕向けた阿瑤の狡猾さ冷酷さが際立ちます。
けれど「猫耳」の「送狗」を聴くとそして観音廟崩壊後の境内で
金凌が仙子を抱いて泣くシーンを思うと阿瑤の金凌への情も
確かにあったと感じられます。
猫耳」には、聶家に居た時、阿瑤だけが泣く赤子を
上手にあやしたシーンもありました。
あれも本当に優しい声色でした。阿瑤の本質は、こうだったろうと思います。

私は、阿瑤の犯した最大の罪は、我が子阿松殺しだったと思っているのですが、
阿瑤という人は、無条件で愛し愛される人を
求め続けた人だったろうと思っているのです。
ですから母を亡くした阿瑤は一度目父光善に拒絶された後、
聶明玦に必要以上に父性を求めてしまったのでしょう。
それが叶えられず袂を別った後も執着が残った。
結局自分を認めようとしない聶明玦を殺害に至るけれど、
頭部を手元に置き続ける。怖れつつも愛し続けていたのではないでしょうか。

そして聶明玦殺害後もその弟聶懐桑を手厚く援助し続ける。
罪の意識もあったろうけれど阿瑤は、力の弱い保護し続けるべき対象として、
聶懐桑を求めたのではなかと私は、思います。

この「父性」に焦がれる、無条件に愛してくれる愛する存在を求め続ける
という姿と我が子阿松の存在を抹殺してしまうその行い、
これは非常に矛盾しているように見えます。
ですが阿瑤は、自分が父光善に決して認められなかった、愛されはしなかった、
そして遂に殺害に至ったのですが、その後で、いよいよ阿松の発達の遅れが
明らかになりつつあった時に阿瑤は、父である自分の阿松への想い、「父性」と、
父光善の己への「父性」とを考えて強く怖れたのではないでしょうか。
無条件で愛したいのにそうではなくなる瞬間を怖れた。
そして自分の存在そのものを危うくする、己がこの世に生きる基盤すら揺るがす
存在たる我が子を怖れた。亡き者にしなければならないと考えてしまった。
誰よりも家庭という安全で確固たる基盤を望んでいた筈の阿瑤が
自らの手でそれを壊してしまう、これ以上の悲劇はないと、
私は、感じています。
自ら消さざるを得なかった「父性」、これを阿瑤は、
金凌や金鱗台に連れられて来た当時の莫玄羽に向けたのでは、ないでしょうか。

そして自分で気づかぬうちに「父」と「母」への満たされない情を抱える
曦臣に対して、阿瑤は、深く共鳴したのだと思うのです。

 

藍曦臣に対しては、彼と阿瑤の関係は、
もっと濃密に絡み合っていたのだと感じます。
曦臣も阿瑤も互いに空洞を抱えていた人達で、
阿瑤は己の空洞=乾きを自覚していたでしょうが、
曦臣は全く自分自身のそれに気づいていなかったろうと思います。
その二人が出逢い、ドラマや原作では描かれていない、
二人の二十年という長い歳月の間、
培わされた想いの嵩、それは想像以上に大きかった筈です。
曦臣と阿瑤は、それぞれが互いに「父性」と「母性」の慈しみを
相手に与え合っていたのだろうと思います。

「曦瑤」と名付けたブログを書いておきながら意外に思われるかも知れませんが、
(二次創作では色々捏造していますが)
私は、曦臣と阿瑤は、そういう関係がまったく無かったと思っています。
互いに「愛」だとは気づかなかった、気づこうとしなかったというべきでしょうか。
自分達はあくまでも「知己」「堅く信頼し合った義兄弟」
その一線を越える事は決して許されないのだとでもいうような。
お互いの依存と自制のバランスは、非常に危うくて本人達が気づかないうちに
それは濃密に熟成されていったのではないでしょうか。

 


阿瑤の本質についての話に戻りますが、
己の剣に「恨生」と名付ける程に社会を人を自分さえも憎み続けた阿瑤は、
己で気づかぬ心の奥底で人を信じ愛したいという渇望があったのではないでしょうか。

だからこそ秦愫を金凌を慈しんだその情は、「愛」に他ならなかったし、
曦臣へ向けた想いも確かに「愛」だったろうと思うのです。

アレキサンドライトの宝石言葉には、「二面性の象徴」のほか、
「高貴や栄光といった富や権力の象徴」、

「出生や誕生など繁栄の象徴」というものがあるそうです。
私が一番目を奪われたのは、
『アレキサンドライトは、周囲に振り回されずにありのままの自分を貫いて
生きる強さと柔軟性を与えてくれます』という記述でした。

もしも阿瑤が自分の二面性あるいは多面性を認識しそれを受容し、
今の自分のままありのままで生きている事を大切に出来ていれば、
世界は変っていたのでしょう。

阿瑤は「プリズム」だと思っていましたが、
私は今後「阿瑤はアレキサンドライトなのだ」と認識を改めます♪

 

 

「君はプリズム」金光瑤人物像について

私が「孟瑤」「金光瑤」に注目し始めたのは、「陳情令」第4回あの孟瑤が副使として
聶家の献上品を手渡すシーンからでした。
出自を揶揄されて狼狽するあの仕草、そして藍曦臣に救われ(指をそっと撫でられ)
当惑しつつ(心躍らせる)あの目の動き。
その直後に乱入して来た温晁等の傍若無人な振る舞いを
裂氷で鎮圧した曦臣を見つめる孟瑤の表情。
一人回廊で藍曦臣を待つ孟瑤が曦臣の姿を目にするや瞳を輝かせて駆け寄る姿、
聶氏の客卿である自分は座学に残ることは出来ないと
「孟瑤、告辞」と曦臣の手をすり抜け、去って行く時の、
通り過ぎる子弟達に顧みられることのない
我が身の境遇に苦い思いを嚙み締める表情が心に残りました。
その後であの「多恨生」MVで決定的に、金光瑤に嵌まった訳です。


陳情令第43話で、金光瑤が「清心音」に邪曲「乱魄抄」を混ぜて
赤鋒尊を殺害したのだと魏嬰と忘機に告げられた曦臣は、驚愕する。
『私の知る金光瑶とお前たちの知る金光瑶、そして世人の知る金光瑶は全く違う
 長年、私の中での金光瑶は屈辱に耐え、衆生を顧み、上を尊び、下を哀れんだと
 固く信じてきた…世人は誤解から彼を嘲笑するが、私の知る彼こそ真実だと。
 全ては偽りだと言うのか。』

私は、阿瑤が曦臣に見せた姿を偽りだったとは思わない。
曦臣に己の悪を気づかせまい闇を悟らせまいとしたのは、
騙そうとしていたからでは無く、曦臣を失望させたくない
傷つけたくないという思いがあったからだと思うのだ。
自分にとって唯一の「白月光」たる曦臣を汚すまいと
阿瑤は、父光善に命じられた悪事の数々、赤鋒尊との軋轢等々、
もしかしたら曦臣に告白出来ていたらその後の惨劇を防げていたかも知れぬ機会を
自分で潰したのだと思う。

阿瑤は、見る者によっては、己の為には平気で人を殺す
狡猾で冷酷な悪人と映るだろう。
けれど彼が心から信頼した者達、曦臣や秦愫へは心からの慈しみを、
尽くしてくれる蘇渉へは、労りを、最期まで疑うことも無かった懐桑へは、
(聶明玦殺害後は、懺悔の念もあったろうが)
聶家で暮らしていた当時のように自分が庇護すべき対象として、細やかな情を
掛けていたのだと思う。

そして甥金凌に対しても、彼らの両親の死に責任を感じていた事もあろうけれど、
慈しみ育てたその情は、うわべだけのものでは無かったろうと思っている。
力の弱い者達、貧しい者達を救おうとした
為政者としての彼の姿もまた真実であったろう。

阿瑤は曦臣に理想の自分を演じて見せたのではない。
曦臣の前でだけ阿瑤は純粋に「善」の自分に為れたのではなかろうか。
私の思う阿瑤という人は、プリズムだ。
見る者の視点によって彼は、様々な色を帯び、
そこに映し出される像は、変化する。

金光瑤(孟瑤)の本当の姿は、本人にも判らなかったのでは、ないだろうか。
阿瑤は、永遠の謎、「迷宮」だと私は、感じている。

 

 

「阿瑤は、曦臣を失望させたくない
傷つけたくないという思いがあったからだ」と書いたが、
阿瑤を心から信頼したからこそ藍家秘伝の「清心音」を教えた、
専用通行玉佩を贈ったその真心を裏切って禁室に忍び込み
「乱魄抄」を盗み出した。
その行為がどれ程曦臣を傷つけることかに思い至らない。
曦臣は嘆く。
『全ては偽りだとすぐに信じろと言うのか?
彼が義兄弟を死に至らしめ、私もその駒だった。
それどころか、手を貸していたと?』

やはり阿瑤の中には、底知れない欠落、空洞というものがあって、
多面体阿瑤は、変幻自在にに光を屈折させるのかも。
理解することなど到底無理なのかもしれないな。

 

 

 

翡翠に込めた想い

 

藍曦臣が阿瑤にこの「金光瑶専用藍氏通行玉牌」を渡したのはいつだろう。
古代中国で最高級とされた和田玉(白の翡翠)に
姑蘇藍氏家紋が透かし彫りされた豪奢な造りの品だ。
阿瑤が温若寒を討った功績で金家に迎えられ金光瑤という名を貰い、
斂芳尊という号を授けられ、赤鋒尊(聶明玦)、沢蕪君(藍曦臣)と
義兄弟の契りを交わし、三尊と称されるようになった頃だろうか。
陳情令設定集に掲載されている藍氏の通行牌はどれも簡素なものだから、
この曦臣が自ら誂えたと思われる金光瑶専用のものが
如何に貴重なものだったか伺える。
翡翠は、忍耐、調和、飛躍、成功、繁栄をもたらすとされるパワーストーンだ。
雲深不知処へ自由に出入り出来るという特権、
それは正しく藍曦臣の阿瑤へ向けた信頼の証だったのだ。

私は、曦臣自身が阿瑤へ抱いていた気持ちが
友情以上のものであった、愛だったと気づくのは、観音廟事件以後、
金光瑶が亡くなってからの事だと思っている。
だからこの通行玉牌に使った翡翠に実は、「初恋」の意味があることを知った時、
強い衝撃を受けるのだろうと思う。
それと知らずに相手に「初恋」の印しを贈り、長い歳月、
親密に手にされて、けれど手酷い裏切りにあって、送り返されてしまった、
その愛と裏切りの証拠のような玉牌を
曦臣は、独り寒室で手にすることはあったのだろうか。

あの翡翠の玉と高い浄化作用と鎮静作用を持つとされる
純粋・無垢な石「ハウライト」の玉牌、
阿瑤が長年身につけて、阿瑤の気を宿してはいなかっただろうか。

原作で「香炉」が不思議な力を起こす話があった。
もしかしたら金光瑶専用玉牌が怪異を起こす可能性があるかもしれない。
曦臣に幸せな夢が訪れれば良いのに。
一夜の夢であったとしても、儚さが一層切なさを遺すとしても、
逢わせてあげたい。

 

 

注:「斂芳尊という号」

孟瑤には、師がいなかったので自分で付けた可能性あり。

「香りを集める尊い人」くらいの意味?
勝手ながら曦臣が名付けたのではないかと妄想してます。

 

佩玉 求愛の際の佩玉の贈答は霊魂の授受という呪術に発したものと考えられる

詩経』「国風・衛風」【投瓜得瓊】

投我以木桃  我に投ずるに木桃(ボクトウ)を以てす
            わたしに木桃(さんざし)を贈ってくれました

報之以瓊瑤  之に報ゆるに瓊瑤(ケイヨウ)を以てす
            そのお返しに美しい宝玉を贈ります

 

「佩玉の贈答は霊魂の授受」って単に求愛の印しよりもっと凄いじゃないの!