曦瑶

「陳情令」金光瑶と藍曦臣についての彼是

金光瑶 その愛の果て

f:id:jovanna:20200628140459j:plain

私が金光瑶に嵌まった切っ掛けは、この金光瑶の笑みだったのです。
大階段を蹴り落とされたこの場面で何故彼は、笑っているのだろうか。
それが私を金光瑶探求に駆り立てたのでした。
この直前、金光瑶は、初めて聶明玦と本音でぶつかります。
孟瑶として取り立てて貰った時からの敬愛、思慕それが、
いつか愛憎が入り混じった強過ぎる妄執に変わる。
生かすべきか殺すべきか、光瑶には、最後まで葛藤があったのではと
私は、思っています。
「乱魄抄」を盗み出し「清心音」に混ぜて陰謀を図るその段階においてすら、
光瑶は、聶明玦を手に入れる道を探っていたのではないかと思うのです。
それがあの金鱗台での場で、
光瑶は、二人の間には、決して判り合えない厳然たる認識の壁が
あることを知ります。
正義を判断する土台そのものが違う。
大仙家の当主として、刀霊の強大な力に我が身が侵されつつあることに
怯えつつも、己が善を正義を貫こうとする聶明玦には、
土台が無いどころか生まれ持っての負しかない阿瑶の生は、
理解できません。
蹴り落とされ「娼妓の子」と、その禁句を吐き捨てられた時、
阿瑶は、その言葉で、迷いを捨てたのだと思います。

阿瑶にしてみれば「よくぞ、言ってくれたな。」というぐらいの
いっそ清々しさだったのかとさえ思えます。
だからこその、あの涙を湛えた笑みだと思うのです。

思えば、「陳情令」金光瑶には、様々な笑みが出てきます。
哀しみの笑み、怒りの笑み、嘲りの笑み、何かを覆い隠すための笑み。
藍曦臣に対しては、慈しみの笑み、敬愛の笑み、喜びの笑み。
本当の自分を見せられなくても、藍曦臣にみせる
阿瑶の笑みだけは真実であったろうと思うと、
残り三話が辛過ぎて、既に動揺しています。

思うのですが、阿瑶という人は、殊更執着が激しかったように思うのです。
「過目不忘」について考えた時に感じたように、
特殊な能力と引き換えに、多大な空洞が強すぎる執着を生んでいる。
「君子正衣冠」への強迫観念もそうだし、
緊張する場面で指をこするという癖にも現れていそうです。

この指を擦る癖が初めて出て来るのは、聶家副司として懐桑に付き従い、
雲深不知処で贈答品を手渡す場面、出自を揶揄する陰口が聞えて狼狽する場面です。
箱を持つ手のアップで阿瑶は親指を擦っています。
次は、魏嬰が聶明玦の首と共情し記憶を探る場面、聶氏の下働きをしていた孟瑤が
洞窟の入り口で同僚達からの中傷を耳にした場面。
水を汲んで来てやった数多くの竹筒を持つ指を擦り合わせていました。
そして観音寺の境内に現れた魏嬰達を目にして、
阿瑶は後ろ手に組んだ親指を擦るシーンが映し出されています。
次は、観音殿の中において霊力を取り戻した曦臣の前で
己の悪事が顕わになって跪いた時、阿瑶は、
衣を掴み指を擦る合わせる仕草をしていました。
思うに阿瑶は、幼い頃から、虐げられたり痛めつけられたり、
心に任せぬ困難な折に、常に「指を擦って」耐えて来ていたのでは、ないだろうか。
感情に任せて反抗することも憤ることも出来ずに、ただじっと耐え、
微笑みを浮かべてやり過ごす、彼なりの処世術が余計に、
彼を歪ませて仕舞ったのだろうと思います。
金光善の子であることへの執着。母への執着。
愛するものへの執着。
聶明玦への執着。
妻秦愫への執着。
そして藍曦臣への執着。

阿瑶は、禁忌である異母妹秦愫へは、
自ら封じたとしても、聶明玦へも藍曦臣へも
心からの愛を望んだと思います。
けれど決してそれが許されないと判っていました。
だからこそ阿瑶は、精神的な愛を貫いた。
聶明玦も彼なりに阿瑶を思っていたに違いない。
けれどそこに性愛の情は全くなかったと思います。
藍曦臣から阿瑶へは、これが判らない。
十数年親しく付き合って、最も純粋で理想の自分を、
曦臣だけに見せたあの阿瑶を、全く好きにならずに居られる男が
果たしているのか?というのが素朴な疑問です。
でもまあ、清廉潔白、世俗の埃など微塵も
寄せ付けない兄上なら可能かも知れません。
兄上は、自制心が強かったというのもそうでしょうが、
人を好きになる怖さという事を知っていて、あえてそのような
感情を封じていたのではないかとさえ思えます。

だからこそ観音廟であの凄まじい感情の爆発が
起こったのだと考えています。
阿瑶と藍曦臣の最後の場面、
阿瑶は、藍曦臣の剣を
『朔月をしっかりと抱いて逝ったから…最期の瞬間は兄様と一緒だった』。
この文章を見て涙しました。
あの激しく濃厚な交合の最終場面、阿瑶は曦臣を突き放しますが、
最期は、朔月を固く抱いて一緒に逝った。最高のエクスタシーだったのでしょう。
私は、秦愫が異母妹と知らされて以降、阿瑶は、自分の性すら激しく憎むように
なっていたと推測します。結婚後十数年、性愛の情すら嫌悪していたかもしれません。
それが人生最後のあの時、図らずも藍曦臣と、
あれ程までの激情を互いに穿ち合う。貪り合う。
阿瑶と曦臣の永訣を受け入れがたくて、
胸がつぶれるような思いを抱えていましたが、
これをエロスの極みと捉えれば、阿瑶は、究極の愛を
最期の最後に手に入れられたのだと思います。
決して哀れで痛ましいだけの人生では無かった。


こう思うことで私が救われました。ありがとうございます。


ここで終われば綺麗なのに敢えて付け足したくなるのが愚かな私のサガなのですが、
阿瑶的には、朔月を抱いての死がこの上なく甘美な陶酔をもたらす、
究極の絶頂を得られたのでしょうが、彼は、エゴイストですね。
阿瑶だけが「小さな死」ならぬ永遠の死という愉悦の極みを得た。
お兄様を置き去りにして愛を奪って、独り、手の届かぬ次元へ逝ってしまう。
やはり阿瑶とは、ずるい人だ。
お兄様、あの人を愛したら、命さえ奪われかねないのですものね。
命を奪うかわりに心を奪って逝った。
阿瑶が生前抱えた空洞、いえそれ以上の喪失という空洞を
お兄様は、抱えるのでしょう。
阿瑶とは、一体何だったのか。
何を考えどう生きたのか、阿瑶の本当の気持ちは何だったのか。
阿瑶は、自分に何を望んだのか、お兄様は、考え続けるのでしょう。
琴を奏でながら。