曦瑶

「陳情令」金光瑶と藍曦臣についての彼是

金光瑶の求めたもの、藍曦臣の想い

魏嬰と藍湛が乱葬崗に向かい、傀儡の大群を
制圧した時、各生家の宗主達も後に駆け付けたけれど、
そこに金光瑶と藍曦臣の姿は、無かった。
夜狩りで金光瑶が怪我を負い、藍曦臣が治療に当たっているのだと説明されていた。
勿論それは、阿瑶がこの危険な場面から曦臣を遠ざけようとする為だ。

魏嬰に悪計を見破られた蘇渉が逃げ帰り、魏嬰と藍湛が皆と連れ立って、
蓮花塢へ身を寄せ、その会議の場で証人の女性達が現れて金光瑶の
悪行の数々が暴露された。
このありさまは、後に金丹の秘密を知った江澄が髄便を振り回していた事実を
観音廟で光瑶が知っていたことから、江家に間者を送り込んでいたと推測される。
この時点で、光瑶は、世間は既に自分の敵に回ったと悟っていた筈だ。
後で明らかにされるが既に光瑶は、脅迫状も受け取っていた。
何故、わざわざ藍曦臣の霊力を封じて観音廟へ連れて行ったのか。
何度も考えてきたように、この光瑶の母への執着、藍曦臣への執着の
強さを思うと堪らなくなる。
我が身が大事なら、逃げ延びれば良かったのだ。
それを最後まで母の遺骨にこだわり、
長年隠し通してきた我が身の悪を知られて傷つけたと知っていながらも、
藍曦臣を傍に置こうとした、その哀れさが痛ましい。
もう二度と曦臣からの信頼を得られない。それを嫌というほど感じながら
曦臣の自由を奪ってまで共に過ごした数日間の阿瑶の心情を思うと、胸が苦しくなる。
曦臣に「慙愧に耐えない」と言われても、
「信じて良いのか。(いや信じるべきではない。)いうニュアンスで
冷たく告げられても光瑶は、それでも良かった。
曦臣に「自分のありのままを受け入れて欲しい。」
そんな身勝手な妄執は、決して受け入れられる望みがないことを
阿瑶は、誰よりも強く判っていた筈だ。
『人が何よりも執着せんとするものが自己である。』
私は、阿瑶が母親と藍曦臣へ執着し過ぎたことが悲劇の大元だと
感じてきたけれど、もっと根本の問題だったのだろう。
自分の殻に閉じこもって自分の尺度でしか物事を見られないのに、
思い通りにいかず苦悩し、世の中を恨む、まさにこの
「自己に執着しすぎた」阿瑶そのものだったのだろう。
阿瑶の人生の中で藍曦臣だけが完璧だった。
生まれながらの空洞を抱えた阿瑶は、曦臣という完璧な宝を
自分のものにしたいと望んだ。
ありのままの自分を包み込んで欲しいと願った。

恨生剣を身にまとい、人を恨み、世を恨み、自分自身を恨み、
心に鎧をつけてでしか生きられなかった
阿瑶が最後に求めたのが、「慈愛」であることが、
何とも逆説的に感じられる。

もし観音廟で願い通り母の遺骨を掘り出して、魏嬰と藍湛に追求されることもなく、
更に聶懐桑の計略にも見事に嵌らなければ、阿瑶は、どうしていただろう。

阿瑶は、曦臣を東瀛へ連れて行こうとしていたのだろうか。
藍曦臣が易々と阿瑶に従うとは、思えない。
身体の自由を奪って意思さえ封じて、ただ人形のように傍に置くのだろうか。
いやそれとも、命を奪って永遠に手に入れる?
そうなる前に、私は、やはり阿瑶は、曦臣の手に掛かって死ぬことを選んだと思う。
阿瑶にとっては、あれこそが最高のフィレーレだったろう。

藍曦臣の想いはどうだったのだろう。
「重なり合う心」の藍曦臣と魏嬰が語り合う場面、曦臣は、
「忘機には、執着がある。」と語った。
そういう藍曦臣自身はどうなのだろう。
たった二歳の差とはいえ、物心着いたとき既に父親は蟄居しており、
母親は、幽閉されているという異常な環境だ。
曦臣が魏嬰に「わかりたくない」と言ったのは本心だと思う。
両親の事情を知った時、彼は、人が人を愛することの怖ろしさを感じたのだと思う。
必要以上の感情を持つまい。執着を持つまい、そう己を律して来たように思う。
まして光瑶が妻を娶った時、まだその時点で曦臣に自覚は、無かったろうけれど、
慕情を封じた。私は、そのように感じている。
藍曦臣の感情抑制には、無理があったのだ。
阿瑶もまた、長年押し殺してきた感情の歪が大きくなっていた。
だからこその観音廟の極限状態での感情爆発が起こったのだと思う。

よせばいいのにSNSで「金光瑶」と検索すると、
藍曦臣は、金光瑶に良いように操られているのだ。とか、
光瑶に愚かにも騙されてる。というような意見を目にするけれど、
それはちょっと違うのでは、と思う。
お兄様を侮るものではないわ。
阿瑶は、藍曦臣の前でだけは、純粋に自分の理想とする人間であろうとした。
決して偽りの姿ではなく、阿瑶のある部分本物の姿だったと思う。
出逢ってからの二十年の月日は、曦臣と阿瑶にとっては、
他の誰かがとやかく言うべきものでは無い、確かな時間だった筈だ。
誰かを引き立てようとして他の誰かを貶めようとする表現は、
私は、好きではない。私の好きは、誰かの嫌いかもしれないけれど、
故意に傷つけるような表現は、私は気を付けたいと思う。


とにもかくにも明日が最終日だ。
心して臨もう。