曦瑶

「陳情令」金光瑶と藍曦臣についての彼是

金光瑶を花に喩えると

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以前、斂芳尊と呼ばれたからには、さぞ芳しい香りだったのだろうと、
金光瑶に花の香りを考えて浮かんだのが、臘梅(蝋梅)でした。
12月から2月頃にかけて蝋で出来たかのような黄色い花を咲かせる
甘いよい香りのする蝋梅。
少し俯き加減に咲く様子から花言葉は、「ゆかしさ」「優しい心」
「慈愛」「慈しみ」などです。
あれだけの罪を犯した金光瑶に蝋梅は、ふさわしくないでしょうか。
藍曦臣が金光瑶を想うとき、絢爛豪華な牡丹の花、それもあるでしょう。

けれども私は、あの観音廟事件の後でさえ、曦臣が最も強く阿瑶を感じるのは、

芳しく可憐な蝋梅のような花、なのではなかろうかと思うのです。
独り閉じた寒室に生けられた一輪の蝋梅、
目を閉じた藍曦臣には、その甘い香りが、
阿瑶がそこに佇んでいるかのように感じられるのではないでしょうか。
言葉は、必要ありません。
愛しい人は、曦臣の傍にただ寄り添っているのです。
たとえ蝋梅の花弁が散って仕舞っても。
阿瑶という花は、永遠に曦臣の中に咲き続けるのです。

「被釘上七十二顆桃木釘」という最強の封印を施され、
転生も叶わぬ定めだとしても、曦臣と阿瑶に未来は無いのだとしても、
「愛」という花の命は、永遠なのだと私は、思います。

 

花びらは散っても花は散らない。
形は滅びても人は死なぬ。
永遠は現在の深みにありて未来にかがやき、
常住は生死の彼岸にありて生死を照らす光となる。
その永遠の光を感ずるものはただ念仏である。

         金子大栄著 『 歎異抄領解 』