「サイコパスホビット」とは、実に上手い喩えだとは、思うのですが、
阿瑶を、サイコパスと言い切って良いのかどうか悩みます。
サイコパスを良心の異常な欠如、極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・
慢性的に平然と嘘をつく・感情の欠如・口が達者・
表面は魅力的・結果至上主義と捉えるならば、
確かに、かなり当てはまっています。
自分を貶めたもの、「妓女の子」という地雷を踏んだものには、
決して容赦しません。制裁は、死あるのみです。
ですが、一度でも恩を受けた者、心を許した者に対しては、
非情に徹しきれない。
「陳情令」ドラマの金光瑶は、特に感情が豊かに見えます。
そして罪悪感に関しては、阿瑶は、相当感じていた筈です。
金鱗台での聶明玦との対決シーンで阿瑶は、
「天が怖い、人が怖い」と叫んでいました。
観音廟でも「夜の長い夢が怖い」と語りました。
阿瑶は、夜毎悪夢に苦しめられていたのでしょう。
本物のサイコパスなら良心の呵責に苦しむ事は無いのだから。
阿瑶には、他の仙家の公子達のような基礎がありません。
母親が買い与えた高価な書物などは、
全て紛い物で役には、立ちませんでした。
阿瑶は、「過目不忘」という能力を駆使して独学で、
仙督という地位に上り詰めたのです。
阿瑶は、幼い頃から傷つき過ぎて、心に何重にも鎧を付けて、
自分自身にも嘘を重ねて、どれが自分の本当の姿かさえ
判らなくなっていたのじゃないのかと思います。
阿瑶のむき身の姿は、曦臣に朔月で貫かれた後にみせた、
鎧を全部を剥がされて、「何故あなたは私を助けてくれないのか」と
泣き口説いた駄々っ子みたいなあの弱く脆い幼子だったのだと私は、
感じるのです。
阿瑶が青楼に居た頃、母の客に階段の上から突き落とされて知った、
痛みと屈辱、この境遇から這い上がる力を求めた原点、
阿瑶がこの世で生き抜いていく為に求めた力を、
それは、確かに悪を為す事へ導いてしまったかも知れませんが、
生まれついての強者、恵まれた者達には、決して理解されないことでしょう。
仙督になってからの彼は、見張り台を1200基も作り、
貧しい民を守ろうとした。仙門百家を統率する手腕があった。
けれど金光瑶の悪が暴露される前から、
出自の卑しさから、私腹を肥やしているなどという、
彼を中傷する声がありました。
観音廟事件の後なら、もっと聞くに堪えない罵倒で埋め尽くされるのでしょう。
「因果応報」
彼は、道を間違えた敗者です。
歴史というものは、常に勝者が記していくものだから。
それでもあの観音廟の場に居た者たち、
阿瑶の真実を見聞きした者たちには、
きっと彼らなりの阿瑶が残ったのだと思います。
私は、藍曦臣の中に残る最期の阿瑶が、あの幼子のような素の姿から、
聖母のような慈愛の姿へ変わっていくその過程を
目にしてくれていたら良いのにと思います。
藍曦臣には、救われて欲しいのです。