阿瑶は、曦臣のファム・ファタールなのか?
ファム・ファタールが、「運命の相手」というならば、
確かに阿瑶は、曦臣のファム・ファタールだろう。
けれど、「相手を破滅させる魔性の存在」という意味では、どうだろう。
確かに阿瑶は、その死によって曦臣に、多大な衝撃を与えた。
曦臣の心を奪って、半身を捥ぎ取って、ひとり手の届かぬ黄泉へと旅立った。
長く寒室に籠る程に曦臣の喪失は、深かった。
けれど私は、曦臣と言う人は、破滅に至って仕舞う、そのような脆さは、
持たなかったと思っている。
藍家の長子として、後には、藍氏の宗主として、
正しく清く強く生きることを骨の髄まで叩き込まれてきた曦臣には、
たとえ観音廟の最期のあの時、阿瑶と共に死ぬことを望んだのだとしても、
生き残った今、生を放棄しただろうか。
私は、痛み苦しみ哀しみを抱えて生き続ける苦難の道を選ぶのだと思う。
阿瑶が奪って逝った空洞を埋めることの出来る何かを求め続けて、
探し続けて、仙人への長い時を生きるのだと思う。
もし曦臣が「ファム・ファタール」という言葉を知っていたとして、
阿瑶をファム・ファタールと捉えるだろうか。
「運命の人」これは、認めるだろう。
けれど「(自分を)破滅させる魔性の存在」とは、認めないだろう。
阿瑶は、曦臣を破滅させることを望まなかった。
「決してあなたを害しようとは思わなかった。」
その言葉を証明して死んだのだから。
曦臣が見た阿瑶は、妖艶で魅惑的な容姿と言動そのものだった。
決して曦臣が惑わされた訳ではない。
自分の感情が何であったか気づくのは、阿瑶を喪ってからだという、
その致命的なすれ違いはあったが、確かに二人に
愛が存在したことを曦臣は、確信しただろう。
だから曦臣は、生きる。
生きて希望を探すのだと私は、思う。
阿瑶は、対聶明玦においては、ファム・ファタールといって良いと思う。
聶明玦が阿瑶を「運命の相手」と捉えていたかどうかは謎だが、
確かに阿瑶は、明玦を破滅させた。
阿瑶の明快への愛と執着の深さは、正しく、サロメを思わせる。
想いが叶わず共存の道がないと思い定めるや、
命を奪ってその身を手に入れた。
切り落とした血まみれの首を胸に抱いて口づける様が
まざまざと浮かぶようだ。
やはり阿瑶は、ファム・ファタールの名が似合う。