阿瑶の母孟詩に対する深い敬愛、異母妹と知った後でも決して遠ざけること無く
身近に置き続けた秦愫への情、そして生涯白月光として敬い続けた
曦臣への情を思うと、阿瑶という人は、
決して愛を持たない人間ではなかったと思う。
青楼時代に恩を受けた思思の命を奪わなかったのも、
薛洋に止めを刺さなかったのも、
莫玄羽を追放だけに留めたのも、非情に成り切れない阿瑶の
心根の柔らかさ脆さの表れだと思う。
では何故、実の息子阿松の命を奪ったのか。
私は、阿瑶が直接手を下したとは、思っていない。
直接ではないが、物見台建設計画を巡って金氏内部での反対が続いていた頃、
阿瑶排斥の謀を知った阿瑶が物見台建設の悲願を遂げる為に、
その頃発育の遅れが顕著になり始めていた阿松の様子を憂いて、
「この機に乗じよう、今しかない」と、そう思い込んだのではないかと思う。
近親相姦の秘密を知られては為らない、物見台建設、
己の利益の為ではあるのだけれど、阿瑶は、この先知恵遅れとして、
世間の人々に侮られて過ごさねばならないかもしれない
我が子を不憫に思ったのではないだろうか。
学識を収め、人より遅い修練の初めながら力を蓄え世に昇った己が、
いつまでも「妓女の子」という差別に苦しめられ続けた苦しさ、悔しさ、哀しさ、
阿瑶は、阿松の一生続くかも知れない苦しみを思ってしまったのではなかろうか。
いっそ何も判らない今、死ぬのなら、この子の為では、と。
子の幸せを親が決めて良い筈など無いのに。
生きていれば阿松が幸せと感じる未来が開けたかもしれないのに。
私は、阿瑶の阿松殺しが許せない。
阿瑶の地獄は、阿松殺しで一層深まったと思う。
けれど、阿瑶に父性が無かったとは思えない。
阿瑶は、生涯において重要な決断を間違い続けた人だと思うが、
愛故に選んで仕舞った阿松殺しが阿瑶最大の間違いだったと思う。